人新世の「資本論」 斎藤幸平
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人新世(ひとしんせい)(Anthropocene) ウォーラーステインの見立てでは、資本主義は「中核」と「周辺」で構成されている。グローバル・サウスという周辺部から廉価な労働力を搾取し、その生産物を買い叩くことで、中核部はより大きな利潤を上げてきた。労働力の「不等価交換」によって、先進国の「過剰発展」と周辺国の「過小発展」を引き起こしていると、ウォーラーステインは考えたのだった。ところが、資本主義のグローバル化が地球の隅々まで及んだために、新たに収奪の対象となる、「フロンティア」が消滅してしまった。そうした利潤獲得のプロセスが限界に達したということだ。利潤率が低下した結果、資本蓄積や経済成長が困難になり、「資本主義の終焉」が謳われるまでになっている。
SDGsはこれまで途上国で取られてなかった指標を提示しており、「犠牲を不可視化」され「外部化された環境負荷」のデータの可視化を試みている 批判対象を矮小化して自らの正当性を主張するやり方
これはジジェクを含むマルクス主義者が不可視化された資本主義の搾取や環境負荷を理念的に批判する一方で、データと実証分析でそれを可視化する努力を怠っていることへの暗黙の批判であろう。
ドゥルーズ=ガタリの脱コード化・脱領土化の議論のように、帝国主義的な世界観で「外部化」の話を持ってきて搾取と結びつけるのって、わかりやすくて面白いんだが、2021年の世界でもそれをやるのはちょっと。啓蒙への小咄としては良いのだろうが、問題の所在はそこだっけ?という気がする。